
僕には2人の子どもがいます。長男は今年22歳、長女は今年19歳になるので、元新米パパです。
初めての子どもとなる長男が生まれた2003年は、遠い昔のようにも、ついこの間のようにも感じます。
記憶は薄れている部分もありますが、当時の気持ちとともに情景をよく覚えていることも多いです。
子どもが成人した今、初めての子育てに奮闘していた時期を振り返ってみます。今まさに現在進行形の新米パパさんたちの参考になれば幸いです。
この記事のもくじ
子どもと初めての対面は父親誕生の瞬間
長男が生まれた2003年、僕は保育士として保育園で働いていました。まずは、長男が誕生した日の思い出から振り返ります。
出産に立ち会えなかった無念と感動の対面
出産予定日を大分過ぎても生まれる気配がなく、入院して陣痛促進剤を使うことになりました。
その日は、当時勤務していた保育園の月に1度の職員研修の日でした。
今以上に父親の育休取得が一般的ではなかった時代です。研修が始まる前に母親から無事に男の子が生まれたとの連絡がありましたが、研修は抜けられず。
終わってから急いで駆けつけましたが、病院に着いたのは夜の9時過ぎになりました。消灯の後でしたが特別に入れてもらい、夜の静寂の中で長男に初対面した瞬間は非常に感動的でした。
初めて親子3人水入らずの時間を過ごせたことは、忘れられない思い出です。
不安が何もなかったお気楽パパ
保育士は子育てのプロだから問題なく育児できたのだろうと思う人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。
保育園の子どもたちにはできていることが自分の子どもにはうまくできなかったり、反対に自分の子どもにはできていることが保育園の子どもたちにはできなかったりするものだなと感じました。
しかし、できないことがあっても僕に不安は何もありませんでした。なぜなら、自分の子の可愛さは、いろいろな人の話を聞いて思い描いていた想像をはるかに超えて格別なものだったからです。
そのため、「この子の未来には希望しかない」「この子は特別だ」などと本気で考えていました。
今思うとお気楽でおめでたいですが、真面目にそう思えるほどわが子の存在は大きいものだと感じます。
産後すぐの妻のためにしたこと/できなかったこと
当時は「産後すぐの妻のため」という意識ではなく、家事など自分ができることはやっていたつもりでした。
しかし、今振り返るともっとできたことはあったのではないかと反省します。
産後すぐの時期を振り返って思い浮かぶのは、妻の実家で過ごした約2か月の日々と沐浴に奮闘した思い出です。
妻の実家で過ごした2か月
長男を出産して退院した妻子はしばらく妻の実家で過ごし、僕もほぼ毎日泊めてもらいました。
職業柄オムツ交換には慣れていたので、積極的にやったことの1つです。
夫婦で特に話し合ったわけではないですが、子育てに関しては妻がリーダーで僕がサブリーダーのような役割分担が自然とできました。
妻を気遣いながら、わからないことは素直に聞き、妻の意向を汲みながら自分でも積極的に動くことが、新米パパに必要な心掛けの1つだと思います。しかし、妻にとって僕が思うように動けていたか、僕の子育てぶりに満足していたかどうかはわかりません。
1番怖かった沐浴
長男が生まれる前に妻と一緒に公民館の両親学級に参加し、人形を使った沐浴体験をしたことはありましたが、実際の赤ちゃんの沐浴をしたのは息子が初めてです。
首が据わっていない息子を片手で抱き、反対の手で洗うのが大変で、滑ってお湯の中に落としてしまうのではないかと怖かったことを覚えています。
共働きではなかったゆえのメリット・デメリット
わが家は長女が小学校を卒業するまでは共働きではなく、妻が専業主婦をしていました。
共働きではなかった僕たち夫婦が子育てで感じたメリットとデメリットをご紹介します。
共働きを選ばなかった理由
共働きを選ばなかったのは経済的な余裕があったからではありません。
「わが子は自分の手で育てたい」という妻の強い希望によるためです。経済的な面では不安でしたが、それ以上に妻の希望を叶えたいという思いが強く、共働きを選択しませんでした。
メリット:仕事に集中し、子育てを任せられる安心感
共働きではなかった1番のメリットは、仕事に集中できたことです。
子どもの体調がよくないときも、安心して仕事に行くことができました。
妻が本当に子どもを可愛がり、心を込めて子育てをしている姿を心から信頼し、なんの心配もなく任せられたことは本当によかったです。
デメリット:大黒柱としてのプレッシャー、不安や不満も
子育ての面では何も心配することはありませんでしたが、唯一心配だったのは家計です。
「保育士の給料で生活していけるか」「子どもが大きくなるにつれてかかる教育資金などが賄えるか」という心配は尽きませんでした。
そして、息子がずっと一緒にいるママのほうになついていることや、自分が知らない息子の姿を知っている妻に対して嫉妬のような気持ちを抱いたこともあります。
特に仕事が大変なときや疲れているときには、マイナスな感情が溢れ出てしまいました。
子育てに奮闘!「親バカパパ」はわが子が1番
生活面には不安がありましたが、とにかくわが子がかわいくて自他ともに認める親バカだったため、子どもの将来には期待しかありませんでした。
わが子が1番だと信じて疑わなかった
自分自身にはあまり自信が持てず、劣等感の塊の僕ですが、自分の子どもに関しては不思議と「すごくよい子が生まれた」「どの子よりもかわいい」「天才かもしれない」などと本気で思っていました。
笑われるかもしれませんが、親ってみんなそんなものではないかとも思います。
子どもが成長しても信頼する気持ちは変わりません。たとえ親バカと言われても、子どもを信用し、応援することは子育てにおいて最も大切なことなのではないかと思います。
不安はないのに心配性
わが子の将来に関しては何ひとつ不安はなくても、発熱やケガ、友だちとのトラブルなど日々起こるできごとには心配がつきませんでした。
初めての発熱では「何かよくない病気なのではないか」と思ったり、スイミングスクールで年上の子どもに押されて転んだときは思わず相手の子どもを怒鳴りつけようとしたりしました。
不安のないはずの将来に、病気やトラブルなどでよくない影響があったらどうしようという気持ちがあったのかもしれません。
今だから感じる反省と後悔
成人を迎えた2人の子どもは本当にいい子に育ったと思っています。
そのため「子育ては間違いじゃなかった」と素直に思えますが、自分自身を振り返ると反省や後悔は多いです。子育てを振り返って感じる反省と後悔を2つ紹介します。
妻に任せきり頼りきりの子育て
共働きではなく、子育てに専念している妻を尊重していましたが、それをいいことに任せきりや頼りきりになっていた部分も大きかったように思います。
精いっぱい子育てができたかと自分に問いかけると、自分の仕事や趣味を優先して「できなかったこと」「やらなかったこと」がたくさんありました。子どもが大きくなった今は、もう取り返しがつきません。
小さい頃しかできない経験が十分にできたか?
子どもの成長はあっという間です。子どもの成長は嬉しい反面、「そんなに早く大きくならないで、ゆっくりでいいんだよ」と、いつも思っていました。
家族でいろいろなところに出かけ、たくさんの経験ができるよう心がけてはいましたが、小さい頃にしかできない経験を十分にさせてあげられたかと思うと、もっとできたのではないかという気持ちは否めません。
時間やお金には限りがあるため、すべての経験を子どもにさせることはできません。
しかし、スポーツや旅行などできるだけ幅広い経験をすることは、子どもが好きなことややりたいことを見つけるきかっけになります。そして、未来の可能性や選択肢を広げることにつながるはずです。それは十分できなかったのではないかという後悔が残っています。
親バカ万歳
親バカと呼ばれるのは、わが子を全面的に信頼している親だと思います。
親に信頼してもらえていると実感できることは、子どもの自己肯定感の向上につながるはずです。
第三者から見ると笑われたり引かれたりするかもしれませんが、気にすることなく親バカでいることが、子どもの成長には必要なのではないでしょうか。
今回、自分の子育てを振り返る機会を与えていただいたことで、改めて気づかされたことです。今子育て中の方はぜひ親バカ全開で、今しかできない子育てが楽しめるよう応援しています。
ライター:西須洋文
勤務経験30年以上の元男性保育士です。
現在はWebライターとして、保育士や子育ての経験を活かして子育てや保育記事を中心に、さまざまなジャンルの記事を執筆しています。
そのほか、音楽教育であるリトミック講師などフリーランスとして活動中。